南国のフルーツを食べながら南国の記憶をたどってみた。タイは1987年にコサムイという島に家族でひと月ほど滞在した。
小さなビーチのコテージで、美しい海岸以外何もないところだったので、
最初の1週間は退屈で、これからどうやって1ヶ月もここに居られるのか、
と思ったが、1週間を越えたらいつまででもいられそうなほどそこが好きになった。
毎朝起きてビーチのレストランに行ってフルーツパンケーキを食べる。
海で遊んでランチ。昼寝をして、また海で遊んで夕食。
そんな毎日だった。
海は美しく、ヤシの木から落ちたヤシの実がそこらじゅうに転がっていた。
少し歩くと岩場もあって釣りもできた。
岩場に挟まれた小さな砂浜は、実は砂ではなくて小さな貝殻ばかりのところがあった。
あの頃は、日焼けなど全く気にせずに私は真っ黒になっていた。
ホテルの従業員とすっかり友達になり、別の小さな人の住んでいない島に
連れて行ってもらい、一緒に貝採りもした。
あんな日はもう二度と来ないだろう。
あの時は、ウォータースポーツなど特に娯楽をするわけでもなく、
私はお酒も飲まなかったし、ただビーチで子供達は夫とのんびり過ごした。
タイはその後一人でコサメットにも行ったことがある。
南国は一人でもあまり寂しくない。
一人といえばまだ子供がいなかった時に、一人でフィジーに行った。
Nadiという所の空港に着いてから、すぐにタクシーで島の裏側に行って、
静かなビーチのコッテージにチェックインした。
行き当たりばったりで決めたのだが、あそこは天国のようだった。
私の知っている南国の中で、あそこが一番本物の南国だった。
フィジー人は開放的で明るく、あたりは花にあふれていた。
コテージのすぐ前が海で、そこはシュノーケリングに最適の浅いサンゴ礁が広がっていた。
プカプカ浮かびながら、手でサンゴが触れるほどの浅さで、
色とりどりの小魚が目の前を泳いでいるのが見えた。
あのあと、シュノーケリングは数カ所でしたが、ここと比べ物になる場所はなかった。
あそこは今もあのままなのだろうか。
いつかもう一度行ってみたいと思いながらまだ実現していない。
きっともう行くことはないかもしれない。
1週間、同じ場所でのんびりと毎日のように真っ黒けになってシュノーケリングをしていた。
ある晩、コテージのベッドで寝ている時に金縛りにあった。
これまでで金縛りにあったのはあの時一度だけだ。
南国の魂に乗り移られそうになったのだろうか。
メキシコのプラヤデルカルメンというビーチには5日間ほど元彼と行った。
あそこもとても美しく、ビーチは観光客と地元の人で活気があった。
漁師が獲った大きな魚を運んでいる姿に会った。
海の色はエメラルド色で、砂は白く、美しい風景はフィジーに劣らなかったが、
シュノーケリングは残念ながらフィジーの足元にも及ばなかった。
ハワイはホノルルマラソンを走るために短期間だけ行ったことがある。
マラソンを走った翌日はシュノーケリング、
そのまた翌日はウィンドサーフィンをした。
あの頃は運動に凝っていて、走ったり、毎日ジムでエアロビクスをしたりしていた。
ウィンドサーフィンは一日クラスに参加しただけなので、
やっとボードの上に立てるようになったと思った時に終わってしまった。
そこではイルカも見ることができた。
海の美しさはさらなる本格的な南国にはかなわないが、
アメリカ本土から車で行ける最南端があるキーウェストと、
そこに行くまでの何十も橋のある道は美しかった。
南インドはケララ州やタミルナドゥ州のビーチ付近に滞在した経験があるが、
インドは私には「南国」ではなくて「インド」なのでこの記事には当てはまらない。