困っている時に声をかけられたり、困っていそうな人に声をかけるかどうか迷ったり、
そんなことを考えたことがこれまでの人生において何度もあった。
電車やバスで立っている年配の人、
高速道路で、車を路肩に止めている人、
近くでちょっと寂しそうにしている知らない人、などなど。
声をかけようかどうしようか。
10年以上前に長女と私はハイウェイで車が壊れて、
路肩に止めて途方に暮れていた。
誰も止まってくれない。携帯も持っていなかった頃の話だ。
メキシカンの男性二人が止まってくれて、エンジンを冷やして、
なんとか車が発進できるようにしてくれた。
神様が現れたような気分だった。
電車やバスで、席を譲ろうとして、断られた経験は多い。
こんなこともあった。
仙台に住んでいた頃、バス停でいくらバスを待っていても来なくて、
タクシーを拾った私は、バスを待っていた他の人たちに、
一緒に乗りませんかー? と声をかけ、みんなに変な目で見られた。
この手の経験は日本で多かった。
日本では、普通知らない人どうしが話したりしないからね。
最近私はハイウェイで止まっている車を見ても、
今時みんな携帯を持っているし、きっともう助けの手配を打っているのだろう、
と思ってしまっていた。
ちょっと困っているような人を見ても、前ほど声をかけなくなっていた。
今日は新しい仕事2週目で、自分の通訳の出来があまりにも悪く、
完全に落ち込んでいた。
そしたら、別の部署のある人が声をかけてくれた。
「まだわからないんだから、仕方ないよ」と。
そして、この職場の情報をいろいろ話して教えてくれたり、
いろんな部署の見学に連れて行ってくれた。
とてもありがたくて、涙が出そうなくらいうれしかった。
やっぱり、自分も困っているかもしれない人を見た時は、
勘違いの心配など恐れずに、声をかけてみようと改めて思った。